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 「六カ国会議」



 杉田米行                                             

 大阪外語大学助教授 



はじめに

コンドリーザ・ライス米国務長官は2005年3月14日より、インド、パキスタン、アフガニスタン、日本、韓国、中国を訪問

するアジア歴訪が始まった。米国の最大の目的は、2004年6月以来中断している、北朝鮮の核問題をめぐる6か国協

議の再開である。ライス国務長官は3月21日に北京で開催された記者会見で、6か国協議再開が「最善の方法」とし、

「中国は北朝鮮に対し、ただ協議に復帰するだけでなく、建設的精神を持ち協議に取り組むよう説得すべきだ」と北朝鮮

に対する中国の影響力に期待している。しかしながら、「仮に北朝鮮が朝鮮半島の非核化が必要であると認識しないの

なら、他の選択肢を考慮するのは当然だ」と主張し、その「他の選択肢」は「国際システムのなかに存在する」と言明した。

要するに、北朝鮮に対する中国の説得が失敗した場合には、米国は北朝鮮の核問題に関する議論を6か国協議から

国連安全保障理事会に移す意向である。これまで6か国協議は2003年8月に第1回、2004年2月に第2回、そして、

2004年6月に第3回協議が開催された。本稿では6か国協議の意義を検討し、21世紀最初の数年で、東アジアに安

定をもたらす要が日本から米国を経て、現在は中国に移動していることを示したい。


日本のイニシアティブ:日朝会談

2002年9月17日、小泉純一郎首相は北朝鮮の金正日総書記と史上初の日朝首脳会談を行い、平壌宣言に調印

した。同宣言の第一項で、日朝両首脳とも「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、

文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなると

の共通の認識」を持ったのである。戦後国交のなかった両国首脳がこのような共通認識をもったことは画期的なことで

ある。第二項では、日本側の過去の清算に関して、「植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたと

いう歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」。また、その補償として、「無償

資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力……国際協力銀行等による

融資、信用供与」など具体的な援助方法を明記した。拉致問題に関しては、第三項で、「日本国民の生命と安全にか

かわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じた、このような遺憾

な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」ことを約束した。安全保障に関しては、まず、第三項で「互い

の安全を脅かす行動をとらないことを確認」し、第四項で「北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに

協力」することが記されている。さらに、「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を

遵守することを確認」すると同時に、「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話

を促進」することの重要性に関して共通認識をもつにいたった。


朝鮮問題の世界的大家であるブルース・カミングス教授は、日朝首脳会談を高く評価し、日本がアジアで独自の立場を

確立しようとしていたことを正確に次のように指摘した。「小泉首相がブッシュ政権の危険な先制攻撃ドクトリンや、半世紀

にわたる日米の緊密な政策調整から距離を取り始めたことは明らかだ。ワシントンに異を唱え、朝鮮半島に永続的な平

和をもたらす困難な仕事に息を吹き込む任務を引き受けたといえる」。 しかしながら、米国は日本がアジアにおいて独自

の行動をとることをあまり好まなかった。


日本国内においても、拉致問題に関する世論の沸騰によって日本政府は北朝鮮問題において解決に向かうイニシアティ

ブを取る機会を逸してしまった。確かに拉致問題は重要案件だが、感情論に流される危険性もある。拉致への日本国民

の怒りと感情論的世論の盛り上がりは、北朝鮮および日本政府の予想をはるかに超えるものだった。民主国家において

は、世論が外交に影響を及ぼすことは免れないが、感情的な世論に煽られて冷静な国際感覚、国益観を見失ってしまうと

外交は失敗する。


同盟国米国の消極的な態度、そして、日本が拉致問題にこだわるあまり、北東アジアの安定した秩序の形成という大き

な目標を見失ってしまった。こうした外交政策によって、北東アジア地域の国際関係における日本の役割の重要性は低

下していったのである。それに替わって表舞台に登場したのが、北朝鮮との緊張関係を前面に押し出す米国だった。


アメリカのイニシアティブ:調整封じ込め政策

ブッシュ政権は北朝鮮に対し、対話による関与政策ではなく、強硬な国際的圧力をかけることで隔離していくことこそ核開

発をやめさせる最上の政策だと考えていた。ブッシュ政権高官は「イラクやイランの状況とは全く異なるので、(米国の対北

朝鮮政策は)『調整封じ込め(tailored containment)』と呼ぶことができる。そのためには、政治的・経済的圧力をかけるこ

とだ。また、(北朝鮮に圧力をかけて隔離するためには)最大限の多国間協調も必要になる」と述べている。政府筋の話に

よると、「北朝鮮は袋小路に突き進んでおり、大量破壊兵器をあきらめ、経済体制を変え、人権を大切にすることしかそこ

から抜け出す道はないということだ。北朝鮮が転換していく段階ごとにアメリカは、それに見合った反応を示す」ということで

ある。「調整封じ込めの主な目的は北朝鮮に核兵器プログラムを放棄させることである。もし北朝鮮が放棄しないのであれ

ば、アメリカは同盟国と協力して北朝鮮の孤立を高めることができる。北朝鮮がすぐに崩壊するとは誰も考えていないが、

北朝鮮にテコ入れするようなことは一切せず、平壌の求心力が引き続き弱まっていくようにしむける」という高官の話でもわ

かるように、ブッシュ政権は北朝鮮の隔離という強硬策を打ち出していた。


米国は北朝鮮の核開発疑惑を最大限に利用して北東アジアの緊張関係を高めることで、日本がこの地域で独自の行

動をとり、指導力を発揮する機会を摘みとることに成功した。しかしながら、米国が軍事力を背景とした強硬策をとったが

ために、逆に朝鮮半島の緊張を極度に高めてしまい、中国が台頭してくる余地ができたのである。


中国のイニシアティブ

日本が1990年代に経済成長の勢いを失った一方で、中国は堅実に経済を成長させていった。現在の中国は日本に代

わって、1997年の通貨危機以降のアジアにおける経済地域統合の牽引車の役割を果たしている。このような高度経済

成長による経済力を背景にして、中国は東アジアにおけるリーダーシップをとる機会をうかがっていた。さらに、北朝鮮の

核開発問題と米国の強硬策による朝鮮半島の緊張激化が中国の出番を整えたといっても過言ではない。


中国外務省の章啓月副報道局長は2002年10月17日の記者会見で、北朝鮮の核兵器開発に触れ、「中国の立場

ははっきりしている。我々は一貫して、半島の非核化、平和と安定を支持している」と態度を明確にした上で、「核開発

問題は、対話を通じて平和的に解決されるべきだ」とし、米国が武力攻撃をも辞さない強硬な態度にでる可能性を牽制

した。  


ブッシュ米大統領は2003年6月1日に胡錦濤国家主席と会談し、「米国には北朝鮮の行動を変えるだけの十分な影

響力がない」と、米国が北朝鮮にかける圧力の限界を悟り、「中国は様々な点で北朝鮮に対し、米国よりも大きな影響

力をもっていると思う」と、北朝鮮問題への中国の仲介役に期待を募らせた。同時に、北朝鮮の核問題を討議する多国

間協議に日本と韓国の参加も強く求め、北朝鮮への包囲網を確固たるものにしようと考えていた。しかし、胡錦濤国家

主席は北朝鮮への圧力強化を求めた米国に対して直接返答せず、「北朝鮮が核を持つことは許容できないが、圧力強

化で政権が崩壊すれば、難民流出など困難な問題に直面することを懸念している」と間接的に断った。 中国の最も重

要な目的は、東北アジアにおける中国と米国の緩衝地帯にある北朝鮮を主権国家として確保しておくことである。したがっ

て、たとえ中国が北朝鮮に対して大きな影響力を行使できる立場にあったとしても、その影響力を行使する意図に関して、

米国は過大評価していたことになる。


中国が議長国となり、ようやく2003年8月に北京で6か国協議を開催する運びとなった。この会議では北朝鮮の核開発

問題に関して具体的解決策を見出すことはできず、中国が望んだ共同声明を文章化することはできなかった。しかし、

協議を決裂させず、非常に少ないながらも共通点を見出し、継続審議をするということで次回の協議会開催の道筋をつけ

たということは中国の最大の業績といえる。


第2回6か国協議は2004年2月に北京で開催された。協議では各国の意見の相違を埋めるのは難しかった。中国は

協議の具体的な成果を重視し、共同文書の作成に強い意欲を表明したが、それは適わなかった。しかし、前回は「議長

声明」を発表するだけだったが、今回は「議長声明」を書面で公表することができ、前回よりも一歩前進を遂げている。

結果的には各国の意見の相違を埋めることはできなかったわけだが、2月28日には、各国の次席代表級で構成される

実務的・専門的分野の協議を行う作業部会の設置を決め、次回協議を6月末までに開くことで合意して閉会した。


閉幕式で李肇星中国外相は、「国際社会は北京を注視していた。これは苦労の結晶であり、祝福の価値がある」と今回

の協議のプラス面を強調した。また、韓国の李秀赫次官補も、「6か国協議で初めて出る文書だ。第一回の会合では文

書もできなかったのだから」と、中国が「議長声明」とはいえ、とにかく文書の形にまとめることができた意義を重視した。

2003年8月に開催された第1回6か国協議は、中国が初めて主催した東アジアの安全保障会議だった。

これを2004年2月の第2回6か国協議に引き継いだ上で、中国はその多国間協議を発展的に受け継ぎ、大量破壊兵

器拡散など北東アジア地域の安全保障をテーマにした協議機構である「北東アジア安全協商会議」の創設を提案した。

ブッシュ政権もこの考えを支持し、政府高官は「6か国協議は、短期的には北朝鮮の核問題に集中すべきだが、長期的

には常設化し、様々な問題を解決し、北東アジアで信頼を醸成する場にもなる」と発表した。


冷戦終結後、北東アジアにおいては北朝鮮問題がこの地域の最大の不安定要因として注目されてきた。この地域を安

定させるためのイニシアティブをとろうと日本、アメリカ、中国が尽力してきたが、現段階においては、中国が一歩リードし

ている。



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