| 第9話 「タクシー運転手最強列伝」
その男は、同じ会社の違う営業所にいた。 どこのタクシー会社にも売り上げナンバー1の人間がいる。そんじょそこらのタクシー会社ではない。 東京の業界大手四社で名実ともにNo.1と言っても差し支えないであろう。誰もが認める優良顧客を数 多く抱えるK社である。タクシーの保有台数は1千台を超えている。ということは、日本一の売り上げを 揚げた男かもしれないと付け加えておいた方がいいだろう。 私は、この会社に入社して直ぐにその男の噂を聞いた。親しくなった先輩が、その男と親しい間柄に あったからだ。その先輩が語る男の営業戦歴は、強烈を極めていた。腕に自信がある私もその戦歴 には舌を巻いた。
その男M氏。私とは一回り以上も年齢が上の50代ということを聞いて更に驚いた。会ってみると風 貌は、細身で色黒、頭の毛も大分薄いおじさんである。はじめて会った時、この人のどこにそんなパ ワーがあるのかと思ったが、語り口から直ぐに出来る男であるとわかった。タクシーの走りも強烈だ。 多分性格からくるものだろう。
稼ぐ運転手の仕事に対する姿勢は、一般乗務員とは違う。朝は誰よりも早い。 「早起きは三文の徳」というが、これはまさにタクシーに当てはまる言葉である。早朝は、電車・バス がまだ走っていないことや始発の時間帯は本数が少ないことから、都内の街には思わぬロングのお 客さんがいるのである。朝のラッシュに巻き込まれる前の、道が空いている効率がいい早朝に一稼 ぎしておく。これが稼ぐ運転手に共通する1日のスタートだ。一方、午前8時に出庫する一般乗務員 は、交通渋滞の中から1日のスタートを切るのである。その頃、既に稼ぎ頭の売り上げは、優に1万 円を超えている。この働く意欲の差は大きい。
は1日10万円台平均の売り上げをいとも簡単にやっていた。月12勤務ないし13勤務であるから、売り 上げは120万円〜130万円以上である。年収も1千万円を超えていた。ちなみに、会社の1日の乗務 員の売り上げ平均は、5.5万円〜6万円台位である。 オシム・ジャパンのオシム語録ではないが、サッカー選手と同じで、タクシーも「走らなければ」商売 にならない。走行距離は、売り上げに比例する。通常の仕事で10万円の売り上げを揚げるとなると 500kmから600kmは走るであろう。この距離を出番毎に走る計算だ。とても人間業とは思えない。 WRCかパリ・ダカのラリー選手並みである。
M氏の営業秘話を交えながら、その売り上げを揚げるコツを紹介したい。 前述の通り朝は早い。とにかく走る。そして、無線を取る。当時の無線は、稼ぐ武器といってもいい であろう。現在のようなGPSを屈指した最寄にいるタクシーを捜すデジタル無線では、近くにいない限 り無線をとることが出来ない。もし、近くにいても他車がいると自分が取れるとは限らない。当時のア ナログ無線は、俗に「遠吠え」などと仲間内では言っていた。どんなに遠くにいても取ることが出来た からだ。そして、無線を呼ぶ常連のお客さんを狙い無線を取っていたのである。その上客が無線を 呼ぶ時間になると感度の良い場所で待機する。争奪戦の競争となるが、感度の強い場所では確実 に取ることが出来た。 M氏は、この無線営業に関しても積極果敢であった。時には、私と彼が競合して結果的に彼の邪 魔をしたこともあった。顧客に恵まれている四社の無線は、かなりの高い確率で売り上げを揚げら れる武器であったといえよう。しかし、この無線だけでタクシーが稼げるのであれば苦労はしない。
では、戦歴の一端をご紹介しよう。 ある日、多摩川の土手沿いの道を走っていると、土手の下からタクシーを呼んでいるお客さんの 手が見えた。乗せると岐阜県の下呂温泉まで行ったという。ある時は、子供の忘れ物を届けるた めにお母さんを乗せ、子供が乗っている社会見学に行くバスを追っかけ富士山まで行ったという。 そしてある時は、東北の会津磐梯山まで往復仕事をして、疲労から五反田の繁華街で寝ていたと ころ、お客さんに起こされ御殿場にも行ったという。この日の売り上げは、24万円を超えていた。 とても尋常ではない営業戦歴である。
流していても、そう簡単にこうはいかない。よくよくM氏に話を聞いてみると、その秘密が良く分かっ た。前職がサービス業であり商売人であったM氏。リップサービスともいえる巧みな話術が凄いので ある。お客様には、低姿勢、最敬礼である。お客さんとの電話のやりとりを横で聞いていた私は、納 得がいった。 ある時、お年寄りのお婆さんを乗せたところ、行き先は最寄の駅までだった。しかし、会話をす る中で行き先が変更になるのである。お婆さんは、タクシーに対する固定観念があって、「タクシー で長距離を乗るのは、運転手さんに大変申し訳ない」と考えていた。M氏は巧みな話術と会話の中 からお婆さんの心を洞察したのである。相手の心を掴んだ話術の賜物であろう。決して強要したわ けではない。経済的に余裕のあるお年寄りなので、結果的には長距離の仕事をした上、大変喜ば れ感謝されたのであった。 我々一般乗務員は、タクシー代金が高くなるので申し訳ないとか、お年寄りなので負担をかけて しまうなどと考えてしまうだろう。しかし、お年寄りにとって電車に乗るための階段の昇り降りや、乗 換えが大変な負担になるのである。経済的に余裕のあるお年寄りにはドア・ツー・ドアのタクシー は便利で欠かせない。M氏の洞察力、営業能力には、大変学ぶべきものがあった。
カリスマ(超人間的)運転手といっても良いだろう。しかし、走りがあまりにも強烈であったため事 故にあったことが残念である。また、病気を患ったが一命を取りとめ復帰を果たした。お見舞いに 伺った折、愛する奥様とお嬢さんの家族愛が微笑ましかった。 現在は、第一線を退いたが、無理をせず健康管理に気を付けて働いているという。後輩からそ の噂を聞いた。
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